皆さん、はじめまして!このブログを運営する「カメちゃん」です。
このニックネームは中学生の頃から呼ばれていて、28歳になった今でも友人たちからそう呼ばれています。結構気に入っているんですよね(笑)
私は14歳のときに視覚障害の診断を受け、それ以来、障害とともに生きてきました。
その間に資格を取得し、就職をして、一人暮らしを始め、趣味に出会い、そして国際結婚もしました。
振り返ってみると、視覚障害者としては少し珍しいくらい、さまざまな経験をしてきたと思います。
そんな経験を自分だけのものにしておくのはもったいない。
「どこかの誰かの役に立てたらいいな」
そんな少しおこがましい気持ちもありながら、ずっと誰かに伝えたいと思っていました。
これまでもSNSやYouTubeで発信してきましたが、140文字や動画だけでは伝えきれないこともたくさんあります。
だから思い切ってブログを始めることにしました。

また、私は現在鍼灸マッサージ師として働いていますが、この働き方について考えることが増えてきました。
本業以外の収入源を作ってみたい。
そんな思いもあり、このブログを立ち上げました。
とはいえ、ブログは完全な初心者です。
少しずつ成長していく様子も含めて、温かく見守っていただけるとうれしいです。
愛媛で過ごした子ども時代:読書と工作が好きな少年期
私は1997年7月31日、愛媛県で生まれました。
子どもの頃はとにかく本を読むことが好きで、いろいろなことに興味を持つ好奇心旺盛な子どもだったと思います。
小学生の頃は理科や工作が好きでした。
ただ、集団行動は少し苦手だった気がします(笑)
学校ではどちらかというと目立たないタイプでした。
ここまでは、どこにでもいる普通の子どもだったと思います。
しかし、そんな私の人生を大きく変える出来事が起こります。

14歳で網膜色素変性症の診断:失明の可能性を告げられた日
中学2年生の夏休み。
定期的に通っていた眼科で、これまで受けたことのない検査をすることになりました。
その結果、医師から告げられた病名が
「網膜色素変性症」
でした。
聞き慣れない病名に、母と二人で戸惑いながら説明を受けました。
正直、そのときの説明内容はあまり覚えていません。
ただ一つだけ覚えていることがあります。
それは、
「40代までに失明する可能性があります」
と言われたことです。
もちろん驚きました。
でも14歳の私には、30年後の未来なんて想像できませんでした。
むしろ障害者手帳を受け取ったときは、
「これでいろいろなサービスが使えるんだ」
なんて考えていました(笑)
今思えば、なかなかしたたかな中学生ですよね。
しかし診断を受けてから、自分が見えていないことを強く意識するようになりました。
それまで普通に乗っていた自転車で車にぶつかってしまったこともあり、それ以降は乗らなくなりました。
卓球部にも所属していましたが、徐々にプレーしづらくなりました。
もともと上手ではありませんでしたけどね(笑)
そんな不便さを感じながらも、なんとか中学生活を終えることができました。

高校時代の進路の悩み:農業高校から盲学校への進学を決意
私は昔から農業を学べる高校に憧れていました。
そして無事に合格し、高校生活がスタートしました。
入学後、先生やクラスメイトには自分の障害について説明しました。
隠したかったわけではなく、あらかじめ伝えておいた方がサポートを受けやすいと思ったからです。
そのおかげもあって、高校生活は本当に楽しいものでした。
そして高校3年生。進路を決める時期になりました。
やりたいことも特になく、障害のこともあり悩んでいました。そんなとき先生から言われた言葉があります。
「その視力で農業を仕事にするのは危険かもしれない。でも別の選択肢があるよ」
そうして紹介されたのが盲学校でした。
そこで、あんまマッサージ指圧師、はり師、きゅう師の国家資格を取得できることを知り、進学を決意しました。
盲学校での猛勉強
鍼灸マッサージ師の国家資格を取得するまで
盲学校では医療の勉強が始まりました。
正直かなり大変でした。
覚えることが本当に多かったんです。
でも、資格を取れなければ就職も難しい。
そんな危機感もあって、とにかく勉強しました。
寮生活でしたが、部屋でも勉強、お風呂でも勉強の話、食事中も勉強の話。
今振り返ると、人生で一番勉強した3年間だったと思います。

また、白杖や点字にも出会いました。初めて白杖を持って歩いたときの感動は今でも忘れられません。
「これなら一人でどこへでも行けるかもしれない」
そう思えたからです。
そして努力の結果、3つの国家資格を取得し、無事卒業することができました。
視覚障害者の一人暮らし:愛媛から大阪へ、都会での挑戦
私には小学生の頃から夢がありました。
それは都会で暮らすことです。
東京や大阪で見れる都会の街並みや生活にあこがれていました。
盲学校時代の研修旅行で大阪を訪れた際、現在の勤務先を見学する機会がありました。そしてその時
「ここで技術を磨きたい」
そう思い、愛媛を離れて大阪で一人暮らしを始めました。
もちろん大変なこともたくさんありました。
でも周囲の人たちに助けてもらいながら、少しずつ生活を築いていきました。
実際に経験して思うのは、視覚障害者の一人暮らしは十分に可能だということです。
やる気と少しのサポートがあれば、きっと挑戦できます。
国際結婚という運命の出会い:アメリカ人の妻との日常生活
大阪で暮らし始めて5年ほど経った頃。私の人生を大きく変える出会いがありました。
ある休日、友人に教えてもらったメキシコ料理店で一人飲みをしていたときのことです。
料理もお酒もたんのうして、気持ちよくなっていた時。カウンターの隣の席にとある外国人の女性が座りました。
お酒の勢いもあり思い切って話しかけてみると、意外なほど話が盛り上がりました。
その女性はアメリカから日本に来ていましたが、流暢に日本語をしゃべっていました。
お酒の勢いもあり思い切って話しかけてみると、意外なほど話が盛り上がりました。
中学時代の英語のテストで9点を取った私でも、日本語なら問題ありません(笑)
その日に連絡先を好感して、何度も何度も食事に行きました。とっても楽しかった!

それから何度も会うようになり、出会って約1年後に結婚しました。
視覚障碍者とアメリカ人の国際夫婦って、かなりレアですよね(笑)
そんな妻と、毎日楽しく暮らしています。
29歳を迎える今の心境:30代に向けたブログでの新しい挑戦
14歳で視覚障害の診断を受けてから、気が付けばもうすぐ29歳になります。
昔は信じられませんでしたが、「年齢を重ねるほど1年が早くなる」という言葉を実感するようになりました。
そして迎える20代最後の1年。この1年は、30代をより良いものにするための準備期間にしたいと思っています。
そのためにも、このブログを育てながら、たくさんの経験や挑戦を発信していきたいと思いま
おわりに:見えにくくなる世界を面白く生きる記録
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。今回の記事では書ききれなかったこともたくさんあります。
視覚障害のこと。大阪での一人暮らしのこと。仕事のこと。国際結婚のこと。お金や人生について考えていること。これから少しずつ記事にしていきたいと思っています。
見えにくくなる世界を自由に泳ぎながら、人生を面白く生きる。
そんな記録をこのブログに残していきます。これからどうぞよろしくお願いします。


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