視覚障害者だと知った14歳の夏|あの日から見える世界は変わった

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こんにちは、カメちゃんです!

今回は、僕が14歳のときに網膜色素変性症と診断され、視覚障害者として生きていくことを知った頃の話を書いてみようと思います。

僕は生まれつきの視覚障害ではなく、成長する中で少しずつ症状が進行し、14歳で診断を受けました。そのため診断前と診断後では、まるで違う人生を歩いてきたような感覚があります。

この記事は、

  • 網膜色素変性症と診断された方
  • 視覚障害のある家族を持つ方
  • 視覚障害について知りたい方

に向けて、当時の私の経験をありのままにお伝えするものです。

実際の体験を思い出しながら書いているので、少し感情的な部分もあるかもしれません。それでも最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

網膜色素変性症の予兆?子どもの頃から感じていた「鳥目(夜盲症)」の違和感

僕は愛媛の、田んぼや畑が多い地域で育ちました。子どもの頃の僕は、ごく普通の子どもだったと思います。ただ一つ違ったのは、よく転んだり何かにぶつかったりしていたことです。学校帰りに田んぼへ落ちたり、自転車で田んぼへ突っ込んだり。周りの子どもたちよりも、そういうことが多かったそうです。

また、自分でも夜になると見えにくいことは感じていました。当時は「鳥目(夜盲症)」と言われていて、
「夜は見えにくいけど、そんなものかな」くらいにしか思っていませんでした。昼間は普通に自転車に乗り、サッカーもできていました。だから、自分が視覚障害になるなんて想像もしていませんでした。

小学5年生の学校検診で急激な視力低下|当時は「ゲームのやりすぎ」だと思っていた

小学5年生の学校検診で、急激に視力が低下していることがわかりました。そこから眼鏡生活がスタートし、半年に一度、大きな病院へ通うようになりました。

当時はテレビやゲームが好きだったので、「見過ぎだから視力が悪くなったんだろう」と言われていました。私自身もそう思っていました。まさか数年後に、人生を大きく変える診断を受けるとは思いもしませんでした。

中学生で本格化した「視野障害」の症状|自転車の衝突と部活での消える魔球

中学生になると、それまでとは違う違和感を感じるようになりました。

ある日、自転車で走っていると、停車していた車に気づかずそのまま衝突しました。幸いスピードを出していなかったので大きなケガはありませんでしたが、それ以来、自転車に乗るのが怖くなりました。

さらに、人や物に良くぶつかるようになり、暗い所がこれまでよりも見えにくくなりました。

僕は卓球部に所属していましたが、ボールが途中から消えるように感じることがありました。まるで毎回「消える魔球」が飛んでくるような感覚です。今思えば、これらは視野障害の症状だったのでしょう。しかし当時は、原因がわかりませんでした。

14歳の夏休み、初めての視野検査で告げられた「網膜色素変性症」という病名

忘れもしない、14歳の夏休み。いつものように病院で検査を受けていました。すると担当医の先生が、「試しに視野も測ってみましょうか」と言いました。初めて受ける視野検査でした。
検査後、待合室で待っていると診察室に呼ばれました。そこで告げられた病名が、「網膜色素変性症」でした。

障害者手帳の申請説明と、私の心境「やっぱりそうだったんだ」

網膜色素変性症とは、遺伝子の異常によって網膜の細胞が少しずつ機能を失っていく病気です主な症状は、

  • 夜盲症
  • 視野狭窄
  • 視力低下

です。

進行のスピードには個人差があります。

診察室で先生から、「将来的にさらに視力や視野が低下する可能性があります」と説明を受けました。その場で、障害者手帳の申請方法についても説明されました。

正直、この日のことはあまり覚えていません。ただ不思議なことに、ショックよりも、
「やっぱりそうだったんだ」という気持ちの方が大きかったです。
夜に見えなかったこと。ぶつかることが多かったこと。自転車で事故を起こしたこと。それらすべてに理由があったと、わかったからです。

障害者手帳を受け取った母の表情|大人になった今だから分かる親の葛藤

私自身は少しスッキリしていました。しかし、障害者手帳を受け取った母の表情は複雑そうでした。

当時の母が何を考えていたのかは分かりません。今さら聞くのも、少し照れくさいです。

ただ、大人になった今なら分かります。自分の子どもに障害があると分かったとき、親としてさまざまな感情があったのだろうと思います。不安だったかもしれません。悲しかったかもしれません。将来を心配したかもしれません。

そんな中で、私の視覚障害者としての人生が始まりました。

網膜色素変性症の診断を受けて変わったこと|視覚への意識と学校生活での配慮

障害者手帳をもらったからといって、生活がすぐに変わるわけではありませんでした。

でも、不思議なことが起こりました。それまで普通だと思っていた景色が、急に違って見えるようになったのです。黒板の文字。教科書の文字。遠くにある掲示物。診断を受けた後から、急に見えにくくなったような気がしました。

実際には以前から見えていなかったのでしょう。ただ、自分の頭が障害を理解したことで、見え方への意識が変わったのだと思います。

学校では、最前列のど真ん中の席が固定になりました。先生方もたくさん配慮してくれました。授業中に「黒板見える?」と聞いてくれたり、体育では球技を見学にしてくれたりしました。

もちろんありがたかったです。でも、中学生の私は目立つのが少し嫌でした。ちなみに体育は苦手だったので、そこだけは少しラッキーでした(笑)。

思春期と視覚障害|周囲との距離感に少し生きづらさを感じていた中学生時代

僕はもともと大人数でワイワイするより、一人で行動する方が好きな性格でした。そのため、障害が理由でいじめられた経験はほとんどありません。

ただ、周囲とのちょっとした距離感や違和感は感じていました。思春期ということもあり、人の目を気にしていたのでしょう。

今振り返ると、視覚障害だけではなく、自分自身の性格も影響していたのかもしれません。

最後に|14歳で視覚障害を告げられた自分へ「大丈夫、人生は面白いぞ」

14歳の夏。私は視覚障害者になったのではなく、自分が視覚障害者であることを知りました。
あの頃は不安もありました。大変なこともたくさんありました。でも今の私が14歳の自分に会えるなら、こう伝えたいです。

「大丈夫。思っているより人生は面白いぞ」

僕はその後、一般の高校へ進学し、高校卒業後に盲学校で学びました。当時は将来に不安もありましたが、資格を取得し、仕事をして、大阪で暮らし、国際結婚もしました。14歳の頃には想像もしていなかった人生です。

見えにくくなったからこそ、出会えた人や経験もたくさんあります。

もしこの記事を読んでいるあなたが、網膜色素変性症や視覚障害に悩んでいるなら、少しでも参考になれば嬉しいです。

このブログでは、これからも視覚障害者としてのリアルな生活や経験を発信していきます。あの頃の私が知りたかった情報を、今度は私が届けていこうと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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